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 慎也です。

 ウユニのツアーガイドの方に

「日本人は鏡張りが好きですよね」

って言われた時の話なんですけど。

実はこういう話を聞いたのは始めてではなくて、以前にも

「鏡張りを見たがるのは日本人だけで、水が張ってない時はバケツで現地人が水を張るらしい」

っていう、おそらく半分作り話のような話を聞いたんですね。

この

「日本人だけ」


っていう言葉を聞くと、僕は胸がギュッと痛むような切ない気持ちになるんですけど、同じように感じる方もいらっしゃいますかね。

で、何でかなーと考えたんですが、

「日本人だけ」


「あなただけ」


「慎也だけ」。

これって、僕にとってはほぼ













「いじめ」



なんですよね。

僕が小学生の時の話なんですけど、家は5人家族で結構貧しい家庭だったんです。

それで色んな貧乏話があるんですが、その1つに

「水道代節約のために風呂に入るのは週に一度」

だった時期があるんですね。

最初からそうだったわけではないんですが、子供の頃って遊び疲れたりして風呂に入るのがめんどくさくなって、だだをこねることあるじゃないですか。

普通の家庭だと「ダメよ!ちゃんとお風呂にはいってから寝なさい!」となると思うんですが、

いつの時からか家の母親は、

「じゃあ入りたい時にはいればいいわ」

って、子供の意志を尊重しているふりをしながら、実は「水道代を節約する」という作戦に乗り出したんですね。

で、そうなるとどうなるかっていうと、

「本当にお風呂に入りたい時」しか入らなくなるわけです。

僕の場合それは「臭くてしょうがない時」を意味しましたから、結果的に入浴は7日~10日に一度というマジックローテーションが確立されました。

もちろん洗面所で顔や足は洗ったり拭いたり、顔のついでに頭を洗ったりするので、それほど気持ち悪くは感じなかったんですよね。

で、ある時学校で「風呂とシャワーどっち派?」みたいな話になりまして、その流れで僕が毎日お風呂に入っていないことが発覚しまして、

というのもそれが自分だけだとは思っても見なかったので、

「週に一度だよ」って口走ってしまったわけですね。

無論、こういうネタは子供たちの大好物ですから、イケイケ男子たちの格好のターゲットとなり

「汚ねぇー」

「不潔~」

「バイ菌~」

などなど様々な罵声を浴びせられたわけですが、

どんな言葉よりも一番傷ついたのが








「それって慎也だけだよ。」






でした。

で、それ以来、「慎也だけ」に異常に過敏に反応するようになり、話を戻すと、

ウユニのツアーガイドが発した「日本人だけ」は僕にとって「=いじめ」なんですよね。

でも周りと違うことへの恐怖を持つのは、僕だけじゃなくて、日本人全員に少なからず織り込まれた一種の思想だと思います。

そして、これこそが「日本人だけ」が鏡張りを病的に見たがる原因だと思います。

みんなと同じ、あるいは多数派を支持することで安心感を抱き、人と違ったことをすることが日本の社会において「不利」であることを体が覚えているのです。

「寸分違わず右へならえ」は単一民族+島国の独特の文化とも言えます。

単一民族で、なおかつ他国との交流が少ないため多様性がなさすぎるのです。

周囲の人間に多様性がないと、「なぜ?」の機会が少なくなって、つきつけられた”答え”が正解。というのが当たり前になってしまっているんです。

例えば風呂に週に一度しか入らない「民族」がいて、クラスの半分がそうした民族だとします。

(実際ボリビアの高地ではシャワーをほとんど浴びない民族がいます、臭わないように裸で日光浴します)

そうすると、「週に一度」は少数派ではないので、必ずしも「バイ菌~」ではなく、「なぜ?」ともなり、

それと同時に


「そもそも、自分はなぜ毎日風呂に入るのだろうか」

と、自分の考え方を見つめなおす機会となります。

一日置きではどうだろう?だって週に一度しか入らなくても普通に生活している人が身近にいるのに、なぜだろう?と。

 (水の少ない国に住むとお風呂に入らないで済む方法をいくつも見つけることができます)

そんな風に「なぜ?」を考えて出た答えであれば、それが一日置きであろうが、1ヶ月に一度であろうが、なんでもいいんです。

考えだした答えには本人なりの理屈があり信念となるわけです。

ところが、クラス全員が毎日風呂に入り、一日でも入らないものなら「変人」として扱われ、しまいにはいじめられてしまうような環境であればどうでしょう。

再び話を戻すと、

「ウユニ塩湖の雨季の鏡張りは最高に美しい」と聞いた時に、

まずは

「じゃあ乾季はどうなのだろう」

と考えるわけです。

そもそも旅はそういう疑問の答えを見つけたり、予期せぬ新たな発見や出会いが大きな魅力の1つなはず。

であれば、「みんなと違ったアプローチでウユニ塩湖を見てみたい。」というのも自然な欲求といえるでしょう。

ところが、その自然な欲求を生み出す思考力は、日本人の脳みその中では退化しており、







「ウユニの鏡張り」=「最高」










「ノーリーズン・カガミバリ」






で終わってしまうわけです。

じゃあ、どうすれば思考力を取り戻せるのか。

それは意外と簡単です。

それは「ボリビアに来ること」です。

ボリビアは周囲の国々への行来が容易ですし、国自体「ボリビア多民族国家」と言われるように様々な民族が共存共栄している素晴らしい国です。

 本当にたくさんの「なぜ?」があります。

 ぜひ思考力の退化した日本人はボリビアに来る、いや「ボリビアに永住」することをオススメします。
(真面目に永住をお考えの方はボリビアで永住権(永住ビザ)を取得する方法をご覧ください)

で、当然、

「もちろん慎也は乾季にウユニに行ったことあるんだよな?」ってなると思いますが、

僕はウユニは、断然












「鏡張り派」です。

ウユニ塩湖

Author Profile

田中慎也
田中慎也
ボリビア人の気質とこの国の風土が大好きなんですよね。ボリビア永住権取得済み。日本へは免許の更新以外では帰国していませんが、それももういいかな。好きなアーティストは久石譲です。